SSブログ

ある阿呆の5周年 [タイの話題や思い出]

ある阿呆の5周年


 タイに住んでいたことのあるトシでございます。

 2010年2月22日、帰国から5周年を迎えました。

 実を言いますと、この日を日本で迎えることになったのは
大きな誤算でございます。

 と申しますのは、今回の帰国は予定では一時帰国であり、
数年日本で過ごしてからもう一度タイに戻るつもりだった
からでございます。5年とは予定をはるかに超えております。

 そもそもどうしてタイに住むことになったのかは話せば
長くなるのでここでは省かせていただきます。

 タイへ行ってからの話ですが、タイで求職活動をしているときに、
ある語学学校で日本語講師の求人がありました。

 以前から興味のある仕事でしたし、トシはその学校で短時間
ながら日本語講師入門の講座を受講したことがありました。

 そしてダメ元で応募したところ採用が決まりました。

 そこから「新米日本語講師」としてのトシの生活が始まりました。

 食べていくのに困らない程度の収入がありましたが、立場は
あくまでもアルバイトです。

 Bビザという、労働を目的とした滞在が認められるビザは
比較的簡単に取得できました。しかし・・・。

 正規に働くためにはBビザの他に労働許可を取得する
必要がありました。

 以前はそれほど審査が厳しくなかったと聞きますが、年々
厳しくなり、トシが本採用を望んだ時には条件に合わない
とのことで労働許可が絶望的になってしまいました。

 その条件というのは「4年制大学を出ている(学士)」。
これは必須です。そして「日本語講師養成講座」を修了
しているかもしくは「日本語教育能力検定試験」に合格
していることが望ましいとのこと。

 人に物を教える仕事をするのはそれ相応の人物であるべき
という、タイの教育省の方針です。ごもっともです。

 いずれにも当てはまらない「なんちゃって先生」のトシは
書類審査で即門前払いされるのが目に見えています。

 Bビザを持っていても労働許可を取らずに働くことは
不法就労になってしまいます。

 見習いで始めてクラスを任されるところまで行った
トシでしたが、不法就労では学生に示しが付きません。

 それに、経験云々もそうですが今までに蓄積した知識の
絶対量が少ないままではいずれぼろが出るに違いありません。

 タイに住みたいというのを優先すれば違う仕事を探して
学歴にうるさくない分野で働くことができたかもしれません。

 しかし3日やったら辞められないのが日本語講師の仕事。

 自分に最も向いている仕事とさえ思えたこの仕事を
あきらめてまでタイに住み続けたいとは思いませんでした。

 自分に資格が無いのだったら、資格を取ってから改めて
挑戦してみよう。そう決心しての帰国でした。

 帰国の第一の目的は学士号を取得すること。まずこの
第一関門を突破しないことには話になりません。

 幸い、書類審査だけで入学できる通信教育という手段が
ありました。

 無事に入学できて、あとはひたすら勉強するのみ。

 順調に行けば今頃は卒業して学士号を取得、日本語教育
能力検定試験にも挑戦していたはずです。

 ところが怠け者のトシはまだ第一関門を前に足踏みを
続けているだけです。

 蓄えがあったら勉強に専念できたのですが、そうではない
以上、働いて生活費と学費を稼がなくてはなりませんでした。

 そしてアルバイトをしながら勉強。と言いながらさぼり癖が
付いてしまい、今は何が本業だか分からない状態です。

 仕事や通勤で味わうストレスを忘れるためにアルコールで
気分転換を図るのが習慣になってしまいました。

 よせばいいのに楽して儲けようと競馬をやったり・・・。

 生活が乱れっ放しです。ただの冴えないオヤジです。

 正規の日本語講師になろうと決心した、あのトシはどこへ
行ってしまったんでしょう。

 反省はするけれどさぼり癖は一向に改善しないトシでございます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。