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「ノウイング」 [映画]

「ノウイング」

 ニコラス・ケイジ主演作。この前の「バンコック・デンジャラス」に
がっかりして、お口直しのつもりで見に行ったのですがこちらも
期待はずれでした。

 以下、例によってネタばれの場合もありますのでご了承の上
お読みください。



 まだ見ていない人にこの映画をどうやって説明したら分かりやすい
でしょうか。

 M・ナイト・シャマラン監督の一連の作品に「アルマゲドン」や
「デイ・アフター・トゥモロー」などの地球規模の災害を絡め、
「未知との遭遇」を加えてかき混ぜ、最後にたっぷりの水で薄めた
ような映画でした。

 大変欲張りな映画で、予知能力・人類滅亡・地球外の知的生命
など、大変興味深い題材が盛り込まれています。

 料理の仕方によってはとても見応えのある、そして感動的な
映画にできるはずなのですが・・・。

 盛り込んだそれぞれの題材についての掘り下げ方が不十分です。

 いかにも脚本家が頭で考えましたという物語。もったいぶって
残しておいた謎が最後には明らかにされて、一応話としては
決着します。

 しかし、観終わって「そうだったんですか」と納得しても
「だから何?」という疑問は残ります。

 単にそろばん勘定から映画的な見せ場をいろいろ入れて、
ミステリー仕立てにして話を引っ張っているだけに見えます。

 この映画を通じて観客に訴えたいものというのが伝わって
来ません。何も心に響いて来ないのです。

 たとえば大惨事について、自分がその場にいるような臨場感で
徹底的に描いて見せるとかでもいいから、何かこの映画ならではの
こだわりのようなものがほしかったです。

 あるいは人類が誕生したのは偶然がもたらした産物なのか
それとも創造主の意思で創られたものなのかについて掘り下げて
この映画なりの方向性で描いても良かったのではないでしょうか。

 結局50年前の小学生が書いた数字の羅列がその後に起こる
大惨事についての予言だったことが分かるわけですが、それでも
「だから何?」という印象はぬぐえません。

 そしてなぜか主人公の妻が予言絡みで亡くなったり、主人公の
目の前で次々と大惨事が起きたりします。

 主人公が予言について解明していくことと大惨事を目の当たりに
することについて何か特別な意味があるのかと思ったらそうでも
ないしで、結局主人公の役割というのは物語の進行役でしか
なかったというのがつまらないです。

 予言が人類への警告で、悔い改めて正しく生きることで救われる
というのなら分かります。

 しかしこの映画では予言通りの日時・場所で予言どおりの数の
死者が出るだけです。回避するすべもなく、予言どおりに
事が起こって、はい、終了。

 「そうだったんですか」としか言いようがありません。

 宇宙人(?)が現れて選ばれた子供たちを新天地に連れていく
という終わり方も取って付けたような印象です。

 宇宙人が現れなくて「肉体が滅びても魂は生き続ける」という
方向に行ってくれた方がトシは納得しました。

 魂が生き続けることではなくて生命としての種の保存が
この映画では重要視されていているようでした。

 主人公の父が牧師だという設定で、当然魂の救済という方向に
進むのかと思っていたらはぐらかされてしまいました。

 この映画で見る限り、肉体の死はそのまますべての終わり
のようです。セリフには魂の救済をにおわせる部分もありますが
それを具体的に映像で描いてはいません。

 神の存在とかいう話になるとテーマが大きすぎて、正面から
取り上げるのは避けたのでしょう。

 それならそれで、その場限りの見世物映画と割り切って
見世物に徹してほしかったです。


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